☆お父ちゃんと娘の闘病記☆

むぅの父親が石綿肺による間質性肺炎になりました。その他色々呼吸器合併症もあるかも…と精査中。病気の発覚から、現在の状態を記録として残そうと思います。

気管支鏡。


入院して数日経てども、採血とレントゲンの検査ばかりが続くお父ちゃん。


N先生としては、なるべく負担のかかる検査はしない方がいいという考えな様。結構、慎重派かな?

お父ちゃんはビビりだけど原因を白黒ハッキリさせたい派。

むぅは石綿肺か否か さえハッキリすれば良い派。←とにかく労災か難病特定疾患かを知りたい💦じゃないと、年金暮らしのお父ちゃんには、きっつい医療費がのしかかり、療養なんて出来やしないのだから‼現実的な私なのです。ハイ。


ま、このように三者三様の考えのまま、数日が経過したある日。

N先生から『CTの結果と、医師でカンファレンスで話し合った結果、やはり気管支鏡をした方が良さそうだ…と。なので、明日やりましょう!』と話があった。で、『150mlの生理食塩水で肺を洗い、サンプルを取りますが、アスベストが取れることはまずないと思います。もし取れたら、直ぐに労災申請しましょう。』と説明があった。


看護師の私は気管支鏡がきっつ~い&苦しい検査だと知っているため、ダメもとで先生に『あの~…先生。検査の時、鎮静(セデーション)かけてもらうことは出来ませんか?』と言ってみたものの、あっさり『出来れば意識はあった方が検査的にはいいので…。どうしても苦しい‼ダメ‼ってなればしましょう!』と断られ、何も知らないお父ちゃんも『あ~、いい、いい。大丈夫ですよ!』と言う始末💧


で。翌日。。。

悲愴な顔で検査を終え、部屋へ戻ってきたお父ちゃん。

『死ぬかと思った‼息が出来んのやもん‼でもな、そこで俺は冷静になって考えた。口がダメなら“鼻がある‼”ってなΨ( ̄∇ ̄)Ψ』

と言いやがりましたよ(笑)


私は『お父ちゃん…口と鼻はその先で繋がってるけどね…💧おつむが弱くて良かった❤』と密かに思ったのでした。


担当の看護師さんからは『検査の途中でSpO2が80%台まで落ちたので、一時的に酸素を5L/mまで上げてます。』との報告を受けた。

この後、お父ちゃんは何を勘違いしたのか『俺は5Lの水で肺を洗われた。』て言っておりました😅

『こやつ、どこまで間抜けなんだ??先生から150mlと聞いたはず💧5Lって…500mlのペットボトル10本分やないか~い。死ぬわ‼どんだけ混乱しとるんかい💨』でしたね(笑)


結果はアスベストはやはり検出されず。これは想定内。洗浄液のサンプルからはリンパ球と好酸球が検出。

この結果がN先生達を色々と惑わすのである。


一度目の入院はこうやって終え、毎月一回、通院が始まった。


☆写真は小児病棟に居たときに、肺移植待ちの5歳の女の子から『むぅさんへ。いつもありがとう。』と頂いた手作りビーズ。可愛い、可愛いこの子は、両親から生体肺移植をしてもらい、現在も元気に通院をしている。

1回目の入院☆

入院日が決定した夜。

バタバタと入院用具を揃えます。


むぅ家は両親が離婚しているため、お父ちゃんは独り暮らし。

むぅは母親と暮らしています。

妹が一人いますが、転勤族の旦那さんに嫁いでいるため、今は離れた所に住んでいます。

よって、お父ちゃんのお世話は必然的、全面的に私がやらなくてはなりません‼


しかも、お父ちゃんは『間質性肺炎』という病気がどんなものか、まだよく分かっていないようで、逆に私が勤めている病院に入院し、毎日私と会えることが嬉しそうでもありました。


お父ちゃんはお母ちゃんへの当たりは強かったけど、私達姉妹へは愛情深く子煩悩なのです(笑)

40歳を過ぎた私でも『子供は子供』なんでしょう。


むぅの方は…怒涛の入院サポート生活が始まりました(T^T)


3交代勤務に加え、仕事が始まる前にはお父ちゃんに新聞を渡しがてら様子を見に行き、自分の病棟へ。

仕事が終わるとさっさと着替えて、またお父ちゃんの病棟へ。そこで面会時間が終わるまで一緒に過ごし、お父ちゃんの洗濯物をお父ちゃん家で洗濯し、帰宅!


あっという間に時間が過ぎていきます…(^_^;)


お父ちゃんは…というと。

入院翌日に採血&レントゲン。

週末をまたいでまた採血&レントゲン。


お父ちゃん担当のN先生からは驚きの検査結果を報告されるのでした。


『むぅさん!お父さん、入院しただけでまだ何も始めていないのに、レントゲンの所見が少しいいんですよ!採血のLDH(KL-6は保険点数の関係で数ヶ月に一度しか取れないので、LDHで炎症の具合を一緒にみていく)も下がっているんです。もしかしたら、肺活量が低いのは、やはり職業が関係しているのかも。もう少しみていきましょう!』と。


私的には『明日辺り、気管支鏡かなぁ。辛いやろうなぁ…。』と考えていただけに『へっ?入院しただけで改善傾向??(@_@)やっぱ、うちのお父ちゃん、変わっとるわ‼』と率直に思ってしまいました(笑)


と同時に、今後を見据え、労働基準監督署へも『石綿肺の労災申請の仕方について』を調べに行きました。


てか…お父ちゃん‼

あなた、じん肺手帳すら持ってないし~!

そっから申請かよ~!(T^T)

しかも、うちのお父ちゃん。

一人親方なんです。。。


これが意味すること…。


『めっちゃ労災が取りにくい‼』

『職歴を証明してくれる人がいない‼』←お父ちゃんの年齢層になると、元同僚が亡くなっていたり、所属していた会社が倒産していたりし、石綿に接触していたという事を誰も証明してくれない‼


さて。

胸膜プラークはあって、確実に石綿にさらされているのに、どう証明するか…。


困ったぞ~!(*_*)

自己紹介

こんにちは。

むぅです!


看護師あるあるの40代半ばの未婚女性です。

何故だか導かれるように、呼吸器専門病院へ流れ着き、只今重心看護をやっています。


お父ちゃんは電気工事士。自慢ではないですが、20代始めの頃から技術大会で優勝を飾り、その技術をかわれ、公立小学校・中学校、ホテルやマンションなどの配線工事をやっていました。後々、この職業がお父ちゃんを苦しめる事になるとは思いもよりませんでした。

スポーツは万能で、足は速く、力持ち。6歳から野球に魅せられ病気が発覚してしばらくするまでシニアソフトボール、ゴルフなどを休みの度にしていました。

現在は仕事を廃業。あんなに好きだったスポーツも出来なくなりました。在宅酸素を今年の1月から導入しています。


ところで。

何故『導かれるように』…かと言いますと…。


H28年の春。お父ちゃんから電話があり、急に『おぅ!むぅか!俺な、肺が痛いったい。お前の病院でCT撮れるか?肺が硬くなる病気らしい。』と言う。


むぅは何が何やら…。

『えっ?どういう事?肺が硬くなるって、肺繊維症?間質性肺炎?何?』と聞きますが、お父ちゃんは『さぁ?とにかく良くならんらしい。薬もないらしい。後は死ぬだけ~!』と、冗談まがいに電話の向こうで言っていました。


お父ちゃんのホームドクターに直ぐに電話を入れ、説明をお願いしたのを覚えています。


先生からは『KL-6という間質性肺炎の値が微妙に高く540あります。ただ、喘息の指標の一つでもあるNOも64と高く、先ずは喘息の治療をしてみたんですが…。レントゲンの所見も少しモヤモヤしているのはいるんです。そんなに胸が痛いなら、間質性肺炎かどうかをきちんと調べた方がいいです。娘さんの病院が呼吸器専門病院でしたね!丁度良かった!今からお手紙を書きますので、是非受診して下さい。』


それから間もなくうちの病院を受診。

たまたま院長が初診対応日でした。

CT、レントゲン、採血…やりました。

CT→下葉に蜂巣肺、胸膜プラーク。

レントゲン→すりガラス陰影。

KL-6→990


院長より『今日、明日にでも直ぐに入院して下さい。病名は“間質性肺炎”です。これから、原因を探り治療方針を立てていきましょう。』と言われ、あれよあれよという間に翌日入院となりました。何故私がこの病院に就職したのか、人生の意味が分かった気がした瞬間でした。


さて。

この日から私とお父ちゃんの闘病が始まります。