自己紹介
こんにちは。
むぅです!
看護師あるあるの40代半ばの未婚女性です。
何故だか導かれるように、呼吸器専門病院へ流れ着き、只今重心看護をやっています。
お父ちゃんは電気工事士。自慢ではないですが、20代始めの頃から技術大会で優勝を飾り、その技術をかわれ、公立小学校・中学校、ホテルやマンションなどの配線工事をやっていました。後々、この職業がお父ちゃんを苦しめる事になるとは思いもよりませんでした。
スポーツは万能で、足は速く、力持ち。6歳から野球に魅せられ病気が発覚してしばらくするまでシニアソフトボール、ゴルフなどを休みの度にしていました。
現在は仕事を廃業。あんなに好きだったスポーツも出来なくなりました。在宅酸素を今年の1月から導入しています。
ところで。
何故『導かれるように』…かと言いますと…。
H28年の春。お父ちゃんから電話があり、急に『おぅ!むぅか!俺な、肺が痛いったい。お前の病院でCT撮れるか?肺が硬くなる病気らしい。』と言う。
むぅは何が何やら…。
『えっ?どういう事?肺が硬くなるって、肺繊維症?間質性肺炎?何?』と聞きますが、お父ちゃんは『さぁ?とにかく良くならんらしい。薬もないらしい。後は死ぬだけ~!』と、冗談まがいに電話の向こうで言っていました。
お父ちゃんのホームドクターに直ぐに電話を入れ、説明をお願いしたのを覚えています。
先生からは『KL-6という間質性肺炎の値が微妙に高く540あります。ただ、喘息の指標の一つでもあるNOも64と高く、先ずは喘息の治療をしてみたんですが…。レントゲンの所見も少しモヤモヤしているのはいるんです。そんなに胸が痛いなら、間質性肺炎かどうかをきちんと調べた方がいいです。娘さんの病院が呼吸器専門病院でしたね!丁度良かった!今からお手紙を書きますので、是非受診して下さい。』
それから間もなくうちの病院を受診。
たまたま院長が初診対応日でした。
CT、レントゲン、採血…やりました。
CT→下葉に蜂巣肺、胸膜プラーク。
レントゲン→すりガラス陰影。
KL-6→990
院長より『今日、明日にでも直ぐに入院して下さい。病名は“間質性肺炎”です。これから、原因を探り治療方針を立てていきましょう。』と言われ、あれよあれよという間に翌日入院となりました。何故私がこの病院に就職したのか、人生の意味が分かった気がした瞬間でした。
さて。
この日から私とお父ちゃんの闘病が始まります。