☆お父ちゃんと娘の闘病記☆

むぅの父親が石綿肺による間質性肺炎になりました。その他色々呼吸器合併症もあるかも…と精査中。病気の発覚から、現在の状態を記録として残そうと思います。

私の疑問。

こんにちは!

むぅです(*^-^*)


今日はお父ちゃん&むぅにとって、忙しい日でした(×_×)


訪問看護+訪問診療+訪問リハが午後から立て続けにありました。


訪問診療は初でした。名前はS先生。

いい先生ですが、まぁ言えばちょっとせっかちな印象(^o^;)


私は以前より後々の事を考え、在宅医療のドキュメンタリーを何本も観てきました。

どの先生方も、どんなに急いでいても穏やかな口調で患者さんに話しかけていました。

患者さんの訴えを漏らさず聴き、家族の想いを受け止め、後悔のないよう全身全霊で診療に当たってありました。


私はお父ちゃんと何気なく死の話はしますが、あえてダイレクトに聞くことはしてきていませんでした。


確実に私より先に亡くなるのは、薄々気付いていると思ったからです。

死を目前にしている人は、あえて話さなくても『私は余命が短いんだ』と自覚されている事が多いと、看護師経験から感じていました。


N先生は、話をされる時、お父ちゃんのビビりの性格を知っていて、オブラートに包んだ言い方をよくしてありました。

そして、お父ちゃんの事をS先生に託すと決めた時、涙を浮かべてありました。


S先生は…今日、訪問された途端に会話の端々に『あなたの命は短いんですよ』『こうやって亡くなるかもしれません。だから、こういうお薬を考えています』という気持ちがチラチラ出ていました。

先生がお父ちゃんに『今の目標は何ですか?』と聞きました。

お父ちゃんは『少しでも歩きたい』と答えました。

すると先生は『いや~、お勧め出来ません。ゆっくりしてください。』と言いました。

他にも『実は同じような患者さんを診ていました。最期は、呼吸が苦しくなったり、せん妄が起きたりします。その時はお薬を使いましょう』と言われました。

目標を聞いた後に、ドン底に突き落とされた気がしました。

麻薬の話もされましたが、お父ちゃんは幸運な事に、薬剤名から何を意味するのか分からなかったので、私が『オプソより、アンペックをお願いします』と伝え、早々に話を切りました。


お父ちゃんはまだ自分でゆっくりだけど立ち上がり、ご飯も自力で食べ、尿意も分かり、自分の意思も伝えられます。


在宅医療とは、患者が希望を持つことは許されないのでしょうか?

お父ちゃんの歩くとは、ほんの少しの希望です。


私はお父ちゃんに安心して、楽しく暮らしてもらえるように在宅医療を選びました。


何か、今日は悲しくなりました。

お父ちゃんの表情もみるみるかたくなり、私に悪態をついてきました。

多分、気に入らなかったんでしょう。

先生が帰った後、直ぐに訪問リハが入ってくれたので、私は先生が処方してくれた薬剤を急いで取りに行きました。


お父ちゃんも私も心の整理が必要だと感じたからです。


在宅医療は『死を受け入れる心の準備をさせる』ことではなく、『死へ向かって逝くだろう人に寄り添うこと』ではないでしょうか?


そんなに『死』を自覚させないといけないでしょうか?自覚は自然と身体が動かなくなってきたらしていきます。身体がきつくなってきたらしていきます。


それじゃダメなんでしょうか。

何だか切ない日でした。

×

非ログインユーザーとして返信する